糸洲安恒 先生(敬称略)

1830年〜1915年

享年85歳

首里儀保村に生る。

士族としての厳しい家風の中で、漢学と書道の教育を受ける。

後に書の腕と人格を見込まれ、長年に渡り、首里王朝の双紙庫理において仮筆者を務める。

那覇手の長浜築登之親雲上に唐手の手ほどきを受ける。

後に、首里手の松村宗棍に師事。高弟となる。

明治12年自宅において唐手の指導を始める。そこから空手界の重鎮を多数輩出。

以下列記すると
屋部憲通、花城長茂、船越義珍、喜屋武朝徳、知花朝信、徳田安文、大城朝恕、摩文仁賢和、城間真繁、遠山寛賢

明治34年、はじめて首里尋常小学校に体操科の一環として唐手が採用される。

明治38年、県立第一中学校および同師範学校の唐手教師の嘱託となる。

ピンアンの型の創作(初段〜五段)
ナイファンチ二,三段の創作
四方クーサンクーの創作
パッサイ小の創作
クーサンクー小の創作

生涯を通じ空手の研鑚に励まれ、空手会に多大な功績を残された。

明治41年糸洲十訓(唐手心得十ヶ條)をあらわす。

昭和39年知花朝信が中心となり「拳聖糸洲安恒先生顕彰碑」が建立された。


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