1782〜1862
生年、没年は諸説あり定かでない。
享年80歳過ぎまで長命されたという
唐手(トーデ)佐久川とは照屋筑登之親雲上寛賀のことである。
幼少の頃から健康に恵まれ武芸に秀でていた。頭脳も明晰で、将来の大物として、青年時代から嘱望されていたという。琉球王府からもその学問と武の力量をつとに認められていたので、三十代の頃に中国へ留学生として唐旅をしたことがあるという。
唐手佐久川は中国で修行し、その修得したものに基づいて、従来から琉球にあった自己防衛の闘争術を深め、首里手の原形となったと推測される。